1.平安時代に遡る新潟県村上市の鮭文化
新潟県の最北端、今も城跡や武家屋敷があり、城下町の雰囲気を残す村上市。鮭はここの名物で、古くは、平安時代から京都の王朝貴族へ献上されていたと言われている。江戸中期には、村上藩の青砥武平治が、「種川の制」を実施。三面川で鮭の稚魚を増やすことに成功。明治時代には、鮭の人工ふ化に日本で初めて成功し、鮭が豊富に漁獲できるようになり、100種類以上もの食べ方が生まれるなど、独自の鮭文化を形成した。その代表格が“塩引鮭”である。
2.武家文化の名残がある“塩引鮭”の作り方
左)中ビレで止める“止め腹”
右)頭に紐をかけない、伝統の“ 逆さづり”
一般的に“塩引鮭”は、内蔵をすべて取り、塩漬けした鮭を6日間低温保存し、一晩水に浸して塩を出す。これが塩を引くと表現され、“塩引鮭”と呼ばれるようになったという説がある。この後ヌメリを洗い、5日前後外で干し上げれば完成。塩で余分な水分を出し、身を引き締め、旨みを凝縮させるのが特徴だ。腹切り、首つりを嫌う武家文化の名残のある村上では、腹のヒレを少しのこす“止め腹”や頭を下にする“逆さづり”にこだわっている。通常の作り方にくらべ時間も手間もかかるが、歴史的、文化的背景を加工に組み込む情熱も、“塩引鮭”に浸透しているようだ。
3.職人が鮭と対話するように、仕上げる
鮮度の良い鮭を北海道日高町から直送
「マルト鮮魚」では、よりおいしい“塩引鮭”を作るために、脂ののりのいい北海道日高町の鮭を使用。塩をぬりこむ際、職人が瞬間的に鮭と対話をするように“触診”して、それぞれの塩梅を決め、違いのある個体を均一の塩梅に仕上げていく。仕上げは外干しと機械による冷風乾燥。尾ヒレの付け根まで丸みを帯びると旨みと風味が行き届いた証拠だ。効率が求められるこの時代に、あえて歴史的、文化的背景を大事にし、手作業で作り上げる意味を、未来に伝えていく「マルト鮮魚」。その思いとおいしさは、製法と共に、これからも受け継がれていくだろう。