ローリー

地理的にもカルチャー的にも、ちょうど大阪と京都の間に位置する高槻で生まれ育ったROLLY少年。「どちらつかずのコウモリ少年だけど、それが高槻の魅力」と笑い飛ばす姿には、地元愛が溢れている。そんなROLLYさんは、幼い頃に出会ったギターに魅了されてその腕前を磨き、やがてロックバンド「すかんち」を結成。1990年にメジャーデビューを果たすと、グラムロックを思わせる妖艶なスタイルと、ポップながらもエッジの聞いた音楽性で若者の心をつかむ。その直後には当時絶大な人気を誇っていた『ダウンタウンのごっつええ感じ』のテーマソングを手がけて注目を浴び、『笑っていいとも!』へのレギュラー出演を機にそのキャラクターが話題を呼び、人気は全国区へ。さらにバラエティ番組や映画、舞台へとその活動の場をさらに広げ続け、気づけば今年で還暦を迎える年齢に。バンドブームを牽引したこの“日本で唯一無二のグラムロックスター”に、いざインタビューを!とドンピシャ世代のスタッフ一同は待ち構えていたのだが……。全身から妖しく輝くオーラを振りまくROLLYさんがスタジオに入った瞬間、なんとそれまで雲ひとつない晴天だった空に突如暗雲が立ち込め、『ロッキーホラーショー』のオープニングかのような雷音が鳴り響いた。まもなく降り始めた激しい雨の音をBGMに、ROLLYさんのインタビューははじまったのだった。

Q:あなた自身の夢はお持ちですか?
A:持ってます!しかも、たくさんたくさん、もう数え切れないくらいの夢を持ってます。その夢は果てしなく、宇宙まで続いております。海底何千メートルから宇宙まで、果てしなく続いている夢を持ってますわ。今も。

Q:その夢はどんな夢ですか?
A:こんな小さい夢もありますけど、ものすごい巨大な夢もあります。眠っているときに見る夢に関する夢も、実は持ってました。眠っているときに見る夢の中で、これは夢であるってわかるって、なんて素敵なこと!じゃないですか?とうとう、僕はその夢を叶えてしまいました。眠っているとき、これは夢であるとわかるんです!これは凄まじい大発見でした。生命の神秘でした。でも、まだまだ果てしない夢は続いてるね。

Q:今、その夢はどんな状況ですか?
A:人生というロールプレイングゲームの中で、ひとつひとつ、夢を叶えていく。どういう状況かと言いますとね、僕は今年で60歳なんで、わりと結構、夢が叶ってきましてね(笑)。いや〜、幸せな人生だったなと思いますけど。まだその夢の途中ですわ、その夢を追い求めている、まだ途中。

Q:あなたにとって夢とは?
A:3歳のときに、マレーネ ディートリッヒやグレタ ガルボ、マリリン モンローを映画雑誌で見て、「ああ、なんて綺麗なんだ、こんな風になりたいや!」って思って、3歳のときにお化粧をして、ブラジャーとパンティをつけて、鏡の前で自分の姿を見て以来、いつもの自分ではない、何かが違う新しい自分になりたくてね。今で言うとコスプレーヤーですね。この生身の寺西一雄少年が、今の自分とは違うものになりたい、という。人生というロールプレイングゲームで、最後の最後まで戦い抜いて、最後のご褒美のときにはね、「ああ、いい人生だったな、ああ、面白かったな!」って思えるように、ひとつひとつ階段を昇って参りました。もうデビューしてから33年ほど経ちますけど、今からまた、一歩ずつ昇れと言われるとすごいしんどいけれど、一段一段、ね、一段一段昇ってくると、いつの間にかここまで来ました。

Q:最後に、オーディエンスの皆さまに一言お願いします!
A:最後にね、皆さんに一言、この60歳の私が申し上げることがあるとするならば、全員の人生、あなたの人生はロ―ルプレイングゲームですよ。自分で自分の人生を。そこには、山あり谷あり、いいこともあれば悲しいこともある。で、辛いこともあって、そこらかしこにトラップが仕掛けてあります。いいことばっかりじゃない。だけどね、一生懸命に、情熱をもって自分の人生を生きていたら、必ず誰かが見ていてね、必ず、よ?あなたを幸せの国へ連れて行ってくれるはずですよ。僕も一生懸命やってたら、今日、この広告に抜擢されました!60歳になって、こんなプレゼントがあるとは思ってませんでした。だけどまだまだ、最後の最後まで頑張って。僕の最後の夢は、「ああ、いい人生だったな」と思って、次の世界に行きたいと思うんですがね。まあ次の世界に行ったら、またやり直しですよ、イチから(笑)。また次の世界でも、3つのときに、フレディ マーキュリーやジミー ペイジや、マリリン マンソンを見て、「かっちょいいー、こんな風になりたいや!」って言って、次の人生でまたはじめるんですよ。人生とは、長く苦しい、けど、すごく楽しいゲームだと。あなたの人生を楽しんだ方がね、客観的に。もし今、あなたの心の中を分厚い雨雲が覆って、雷が鳴って、今にも大雨が降りうそうだとしても、大丈夫!雲の上に行ってみなさい。そこには、雲ひとつない、すごく晴れた、スカっと晴れた世界があるでしょう。雨が降って辛いのは今だけ。なんとか乗り越えましょう。そして楽しい人生を、素敵な人生を。僕はね、本当にギターを始めたり、やりたいことをやってきましたけど、ありがたいことに、こんな好き放題やって、夢が叶えられた。でもね、僕の夢は、ハリウッドでスターになってビバリーヒルズに住むという、そんな具体的な夢じゃなかったわけです。ちょっとお化粧をしてブラジャーとパンティをつけて、鏡の前に立つっていうのがひとつの夢だった、それを叶えた。その次はギターを始めた、ギターがちょっと弾けるようになった、で、それも叶えたわけです。もうちょっと上手くなってバンドもやって、いつか誰かが迎えに来てくれるかなと思ったら、25歳のときにスカウトの方が来て、26歳でデビュー。すごく遅いです。あなたの人生は、まだまだ先が長い。ぜひ、じっくりむっちり、楽しんで。素晴らしい人生を!…あ、終わりです(笑)。

APPLAUSE!

Q:人生を変えてくれた「夢」や、そんな夢が叶った瞬間のことをお聞かせください。
A:お勉強もスポーツもまったくできなかった私が、ギターと出逢って、ちょっと弾けるようになった瞬間。あ、その前に、お勉強もスポーツもできなくて、いじめられっ子だった私が、なぜ自分がこんなにいじめられて毎日泣かされて、なんでこんな苦痛を感じないといけないんだろうかと思っていたとき……。あれは1974年ぐらいの頃でした。母親の実家、兵庫県の丹波篠山の、田んぼの中の一軒家。そちらに夏休みに行ったときに、たまたま、木の幹にセミの抜け殻があるのを発見しました。ほう、セミの抜け殻か。セミっていうのは、土の中にいるときは、よもや自分がセミになるとは思ってなくて芋虫みたいな存在だと思ってるはずだが、いつの間にやら羽が生えて、飛んで、おしっこジャーってやったときに、「あ、これが本当の姿だったのか!」って思うんじゃないか、って。だとするならば、このいじめられている今、自分はまだ幼虫の自分で、いつか何か違うモンになるんじゃないかな、と思った1974年。すごい発見でした。まだ何の確証もなかったけどね。その後ギターを始めて、ギターを弾けるようになったときは、衝撃的でしたね。そしてバンドを始めてデビューをした瞬間、そして子供の頃から憧れていたミュージカル『ロッキーホラーショー』の主役に選ばれたとき。家族全員呼びまして、客席にいる家族に向かって、ブラジャーとパンティをつけて、ガーターベルトで、全員で歌って踊ったのを見せたときに、「ここに来るために、あの事件があったのだ!」と思いましたね。それ以降もいっぱいありますよ。もう、数えられないぐらい。毎日、毎日。でも、いろんな良くない事件とかもありました。ありましたけどね、過ぎ去った思い出は美しく感じるっていうかね。それも人生のひとつのシーンだったな、と思うようにしております。

あと、僕ね、高校時代、阪急京都線に乗って通学してたんですよ。毎日毎日、阪急京都線で高槻から正雀(しょうじゃく)というところまで乗ってたんですけどね。片思いの、電車の中で出会うだけの、片思いの女学生。高校時代の自分からすると、こうやって(自分が)阪急の広告になるなんて……。よもや、こんな素敵なプレゼントがあるとは思ってなかったですよ。だからね、ホントに、人生諦めてはなりませんよ。きっといいことがあると信じて、楽しみましょう!