古くから海産物とともに文化を都へ運ぶ道として親しまれてきた鯖街道。何本にも分かれ紡がれてきた物語、起点の街・小浜(若狭)の歴史について、サバ博士の右田さんがわかりやすくレクチャー。
なるほど!鯖街道
鯖街道って何か知ってる?これは古代から続く若狭と京都を繋ぐ大事な道なんだよ。最近では“鯖街道”と呼ばれているんだ。これは食べ物だけじゃなくて、いろんなものや人、文化を運ぶ特別な道さ。
この道にはお寺や町、古い文化などがいっぱいあるんだ。鯖街道を歩いてみれば、昔から今まで続く歴史や人々の暮らしが感じられるよ。
でもね、鯖街道って言っても、ただ鯖を運んでいたわけじゃないんだよ。若狭からは海を渡ってきた文化や、いろんな海のものも運ばれていたんだ。それと同じくらい、京都からは上品な文化や素敵な工芸品も若狭に届けられていたんだよ。
“鯖街道”って名前は、中世以降、特にたくさんの鯖が運ばれ、それが今も大切にされているから、そう呼ばれるようになったんだって。でもね、実は鯖街道は一本の道だけじゃなくて、いくつかの道があるんだ。例えば“若狭街道”や“針畑越え”、そして“西近江路”などがあるんだ。これらの道はそれぞれの特徴があって、総じて“鯖街道”と呼ばれているんだよ。
御食国(みけつくに)若狭
古代から“御食国(みけつくに)”と呼ばれ、おいしい食材を都に運んできた若狭。ここは海と陸の道が交わる大事な場所で、古くからの歴史が残る素敵な地域なんだよ。街道には港や城下町、宿場町があり、お祭りや芸能、仏教文化も広まって、独自の発展を遂げてきたんだ。
若狭は日本海に面していて、美しい自然が広がっているよ。昔は海の幸や塩を都に届けて、都の食文化を支えたんだ。最近では“鯖街道”と呼ばれる街道が、食べ物だけでなくいろんなものを運ぶ大切な交流の場になっているんだよ。
湊町・小浜は街道の起点で、海と陸の交差点として賑やかな都市だったんだ。古くは南蛮船が珍しい動物を運んで上陸し、市民たちはそれに驚いたそうだよ。小浜湊は交易で栄え、豪商や北方交易の人たちとも交流があったんだ。小浜市場が整備され、若狭の海産物が京都に運ばれ、“若狭もの”や“若狭一汐”として喜ばれてきたんだよ。
この地域には廻船問屋の立派な家や庭園、桃山時代の絵画、若狭塗などが残っていて、商人町ではお祭りや芸能が盛んに行われ、昔の雰囲気が今も感じられるんだ。こうして若狭は古くから続く歴史と文化が息づく素敵な場所なんだよ。
※福井県ホームページより引用